人生・自由・幸福の追求を体現したハルクホーガン

アメリカン・ウェイの象徴、ハルク・ホーガン逝く 「プロレスが下手だった青年」が「空前絶後のスーパースター」へ――。 ベーシストとしてバンド活動をしていた若き日のホーガンは、挫折を経てプロレスの道へ。日本人レスラー・ヒロ・マツダの道場で厳しい指導を受け、脚を折られながらも食らいつき、ついにデビューを果たす。
1980年4月、新日本プロレスに初来日。当初は動きの硬い“大男”に過ぎなかったが、アントニオ猪木の薫陶を受け、驚くほどの技術を習得。1983年の第1回IWGP決勝では、下馬評を覆し“猪木舌出し失神事件”で優勝を勝ち取る。 1984年、WWFが全米侵攻作戦を開始。映画『ロッキー3』出演で一躍人気者となり、猪木を下した日本帰りのレスラーとして、アメリカでスーパースターの座に上り詰めた。以降の80年代は「どれだけホーガンになれるか」が指標となる時代に。 1996年、WCWでnWoを結成。ケビン・ナッシュ、スコット・ホールとともに再びプロレス界を席巻。2002年「レッスルマニア18」のロック戦では、ヒールでありながら大歓声を浴び、試合中にベビーフェイスへと戻るドラマが生まれた。日米で頂点を極めたレスラーは、彼をおいてほかにいない。

晩年は波乱もあったが、アンドレ・ザ・ジャイアント、ランディ・サベージ、ロディ・パイパー、アルティメット・ウォリアー、ジョン・テンタら多くのライバルがすでに天へ旅立った。今ごろ天国では、再び夢のレッスルマニアが開かれていることだろう

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